2021.08.19

孫子の「風林火山に」は続きがあります!?

ビジネス&マーケティング

ビジネス陰陽師の吉川です。

今週末に「孫子の兵法」のセミナーをします。

その中の有名な言葉「風林火山」は
戦国の武将、武田信玄が旗印にしたことでも
有名ですが、実は続きがある、
というお話です。

武田信玄の「風林火山」

あの織田信長も戦いをひたすら避け、
戦国時代最強といわれた
武田信玄率いる武田軍。

その本陣に掲げられていた軍旗に
書かれている文字「風林火山」は、
「孫子の兵法」から取っていると言われます。

なお、武田信玄のように、
自らの戦略、軍略を
旗印に掲げた武将は非常に珍しいと
言われています。

「風林火山」は、『孫子・軍争編第7』の
軍の行動について書かれている
最初の部分です。

・其疾如風
 その疾(はや)きこと風のごとく

・其徐如林
 その徐(しずか)なること林のごとく

・侵掠如火
 侵掠(しんりゃく)すること火のごとく

・不動如山
 動かざること山のごとく

有名な言葉ですね。

「風林火山」の続きとは?

そして、この4つの部分に、さらに
2つの言葉が続きます。

・難知如陰
 知りがたきこと陰のごとく

・動如雷霆
 動くこと雷霆のごとし

(「霆」はかみなりの激しいもので、
 雷霆は、「激しい雷」
 といった意味です。)

つまり続きの2行には、
1)味方の戦略は暗闇の中のように
 敵に知られないようにし、

2)兵を動かすときは雷のように
 激しくなければならない

という意味なのです。

なぜこの2つを隠したのか??

武田信玄は、軍旗に最初の4つの
「風林火山」を書き、

残りの「陰」と「雷」を隠しました。

一説によるとこれは、
「非常に重要なため、
 わざと隠したのではないか?」

と言われています。

最初の「陰」はコチラの戦略を
敵に知られないようにすること、

つまり情報の大切さを言っています。
「自らの死を3年は隠せ」と言い、

また、甲州忍者を組織して、
日本中の情報を集めていた
武田信玄がどれだけ情報のことを
大事にしていたか、ということです。

さらに、「雷」

・其疾如風
 その疾(はや)きこと風のごとく

は、動き出しを早くすること
(行動を早めに起こすこと)ですが、

「雷」はいざ動き出したら、
雷のように素早く動くこと、つまり
「速いこと」です。

兵の勢いを重要視し、いざ動き出したら
一気に相手を攻め落とす、決着をつけてしまう
ことの大切さを、
信玄は重要視していたのではないかと
思います。

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